歴史

ヴェネチアの歴史

ヴェネチアの名前は紀元前1世紀古代ローマ帝国時代に現在のヴェネト州、フリウリ州、トレンティーノ州、イストリア半島を含めた地域を『ヴェネティア』と称していたことに由来するそうです。ヴェネチアは、古代ローマ帝国時代の周辺集落の跡にできた都市で、5世紀から6世紀にかけて、ヴェネチア周辺の本土側を脅かすアッティラ王のフン族はじめ、他の民族など蛮族の侵略が続きました。牧畜民のフン族など、海から島に到達することはない事を想定して、ヴェネチアの周辺の潟地帯の島々に逃げ住んだことから、歴史は始まる。ヴェネチアの起源は、こうした侵略者に対抗するために、潟の沼地帯において、早い時期から相互扶助の組織を確立し、ヴェネチア共和国を創り上げました。

紀元5世紀のフン族の侵攻から逃れて、ラグーン(潟地帯)に誕生したヴェネツィアは、東ローマ帝国の最北西の分派(特別行政地区)として、ラグーンという自然の障壁に守られた島々にヴェネチアの島は建造されました。当時から海洋貿易を使命とし、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルやビザンツ政府から徐々に独立して、最初の国家元首が選ばれたとき、ヴェネツィアは「事実上の」自治を確立しました。神話では451年がヴェネチア共和国の建国とする説もありますが、最初に国家元首ドージェが選出された7世紀頃が建国した時期とされています。

7世紀末に初の国家元首ドージェが選出され、18世紀末にナポレオン支配で滅亡するまで選挙による選出と役職制度はヴェネチア共和国と共に10世紀以上続きました。中近東の国々とヨーロッパの橋渡しする重要な地中海貿易都市の中心地として栄え、14~16世紀には全盛期を迎え、巨万の富を得ることになり、ヴェネチア共和国が「アドリア海の女王」と称された所以です。こうした富で築かれたヴェネチア共和国時代の政治力、軍事力、経済力を象徴する過去の遺産が今日のヴェネチアそのものであり、共和国の歴史と共に築きあげられた建築と芸術、水の都迷宮都市に華やかなヴェネチア共和国時代の面影を垣間見ることができます。

ヴェネツィア共和国は、7世紀から16世紀まで繁栄の一途で、アドリア海を中心に地中海全域で政治的・軍事的な権力を握り、主要な港として、また経済交流の中心地となり、国際都市化が進見ました。14世紀から16世紀までヨーロッパで3番目に人口の多い都市でした。

1000年以上の独立自治を保ったヴェネチア共和国は、小国で資源がなく、外交が国の死活であり、中東と西洋各国の政治、経済、軍事の変化にに合わせて、試練を乗り越え、またはそれを上手く利用して、独自政策と権力を築き上げ、存続させ、ヴェネツィア共和国の歴史はナポレオンに占領される18世紀まで存在しました。

サン・マルコ広場の政治の象徴であるドゥカーレ宮殿には、政府機関、行政、司法が組織されていました。資本、投資、契約、利子、損益、複式簿記、海上保険、船舶抵当融資、委託運送、船荷証券などの概念は、このドゥカーレ宮殿で確立し、運用されたと言われています。

商業と金融の地区であったリアルトは、当初貿易物の荷揚げをする場所で使用料を徴収していました。今でもリアルト地区の船着場には石炭、ワイン、鉄を荷揚げするという意味の名前がついています。またドイツ人商館、ペルシャ人商館として使用されていた建物が残っています。

ヴェネツィア共和国は資本主義の発祥の地ともされ、銀行業と保険会社の理念が発達したと言われています。15世紀に、近代会計学の父 "ルカ・パチョッリ" によって、学術的に説明・紹介し、簿記の教科書となる会計学で重要な『複式簿記』がヴェネツィアで出版されました。また「現金を動かさなくても取引が出来るシステム」もヴェネツィアで開発されました。ヴェネチア共和国時代のリアルト地区では今日の金融経済の基盤となる仕組みが確立されました。

15世紀には、ヴェネツィア共和国では世界で初めて特許法が制定されました。有用な発明の利益を保証することで、優れた技術者がヴェネツィアに集まり、産業が発展することを意図していました。例えば、16世紀に近代科学の父 "ガリレオ・ガリレイ" が、揚水機(らせん回転式ポンプ)の発明によってヴェネツィア政府から特許を取得したという記録が残っています。

ヴェネチア共和国は、中世からの東西交易路の要所として繁栄し、この経済の蓄積を都市の建設にあて、16世紀から、さらなる華麗な都市へと転身し、文化都市として1000年にわたる経済的独立を継続させました。当時のヨーロッパでは、政治、経済、軍事力と並び、有名な文化都市としても評判の都市でもありました。祝祭都市として有名で、世界三大カーニバルで有名な仮面カーニバルは、何世紀にも渡ってヨーロッパで憧れの祭典ででした。

東方貿易により発展したヴェネチアは、東西こだわらず他国から様々な文化を取り入れ、自由な気風と形式にとらわれない芸術や建築を生み出し、ルネサンス様式の時代にも、過去のビザンティン様式やゴシック様式を維持し続けました。また、東方貿易は画家たちに貴重な顔料をもたらし、色彩豊かなヴェエネチア派の絵画を確立させました。

中世末、巡礼の人達がヴェネチアに立ち寄って、聖地エルサレムに向かっていました。ヴェネツィア共和国はすでには中世から観光都市(巡礼者向け)としての要素を作り上げ、当時から修道士が宿泊できる安い施設や宿が島内各所にあったそうです。