2014年 南イタリア:ナポリ、エルコラーノ、ソレント、アマルフィー

10月にはローマ、ナポリ、エルコラーノ、ソレント、アマルフィーをじっくり周遊し、天候にも恵まれ、晴天の南イタリアの秋とミシュラン星付きレストランの魚介を満喫しました。 今回初めて訪問した「エルコラーノ」は大変興味深いものでした。「ポンペイ」に比べて「エルコラーノ」は規模は小さいながら、コンパクトな領域の中で貴重な遺跡を鑑賞できます。
「エルコラーノ」の起源はギリシャで、当時は「へラクレイオン」と呼ばれていました。紀元前6世紀にギリシャの支配下にありました。前89年ローマの軍隊に攻め落とされ、その後はローマ化され、港は漁業が盛んで職人達が多かったそうです。ローマの貴族は、景観が美しいこの場所に住宅を建てました。紀元79年のヴェスヴィオ火山噴火によって、ローマ時代の都市ポンペイやエルコラーノ、その他山麓の街々が灰と溶岩の下に埋没しました。 18世紀に発掘が行われ、いずれも裕福な商業都市ポンペイの広大な遺跡や、小規模ながら保存状態も良いリゾート地エルコラーノ遺跡、そしてトッレ・アンヌンツィアータのオプロンティス荘遺跡の見事な壁画などから、ローマ時代の人々の贅沢で充実した市民生活の様子ができるようになりました。ポンペイと異なり、エルコラーノは火砕流に襲われました。それ故、エルコラーノでは当時の木製の階段や縄などが炭化した状態で保存されています。発掘面積はポンペイよりずっと狭いですが遺跡の歴史的価値は非常に高く、ポンペイ同様世界遺産になっています。新市街の地下には未発掘の古代の町が未だ眠り続けているそうです。200℃の火砕サージで窒息死したポンペイ住民は、その後降り積もった火山灰の中でゆっくりと朽ちたため、あの有名な石膏像に見られる穴を残しました。しかし、エルコラーノを襲ったのは500℃の火山ガスと高温の溶岩であったため、エルコラーノ住民は一瞬で焼死し、こちらでは人骨が残る結果となりました。 ポンペイはナポリの南東29kmで、エルコラーノがナポリの南東11kmに位置しています。