ヴェネチアンガラス

世界的に有名なヴェネチアンガラスは、ヴェネチアの島の北に位置しています。ヴェネチアの島からは水上バス(ヴァポレット)で、ヴェエンチアの島の北側にある「Fondamente Nove」の乗り場からでしたら、約10分で移動できます。ガラスの島ならではのお店やガラス博物館、ガラス工房をのぞいて買い物を楽しめます。ヴェネチアンガラスと言いましても、シャンデリア、グラス、飾り物、置物、アクセサリー、ビーズなど様々な製品があります。

今日ヴェネチアでみられる幅広いガラス製品は、1000年以上の歴史の中で、時代の変化に順応にしながら、常に発展して製造されてききました。
これからご紹介しますヴェネチアンガラスの歴史を知っていただくことで、街中の至る所にあるガラスの店頭に何気なく並んでいるヴェエンチアンガラスの価値を感じて頂けたらと思います。
ヨーロッパの考古学博物館に行くと、必ず古代ローマ時代(紀元前1〜5世紀)のガラスが展示されています。
ヴェネチアンガラスの歴史は、実はローマ時代に作られたガラスの製造からはじまっています。今日もヴェネチアンガラスの根本的な技法である「吹きガラス技法」は、古代ローマ時代に既に発明されており、製造されていました。ただし、ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国が滅びた5世紀にガラスの製造は衰えてしまいました。

8世紀頃ヴェネチア共和国は、ヴェネチア人発祥のトルチェッロ島から、共和国の拠点をヴェネチアのリアルト島(現在のリアルト橋近くの市場付近が一つの島だった)に移し、教会が沢山建てられ、その影響でガラス工房も多くリアルト島に移ってきました。その後、11世紀にはサン・マルコ寺院の内部の天井から壁の全壁面にガラスのモザイクを描く為に大量と多色のガラスの製造が必要になります。こうした中で、ヴェネチアにおけるガラス技術は更に発展していきます。

13世紀には、ヴェネチア共和国の政令、保護下で『ガラス製造業者、その助手、家族等のすべてをムラノ島に集中的に移住し、島外に脱出する者には死罪を課す』という厳罰体制の管理が始まります。理由は2つの説があります。一つは、ガラス原料を溶解する釜の火が原因でヴェネチアの島が火災に遭わないようにとのことです。もう一つは、当時ガラスはヨーロッパではヴェネチア共和国が独占的に製造していたので、ヴェネチアの島に商売で滞在する外国人達に、ガラス職人が買収されてヴェネチアンガラスの製造法を伝授して、外国にガラス製造を盗み学ばれないようと言うことでした。こうした環境下でヴェネチアンガラスは発展して行きます。

16世紀まではヴェエンチアンガラスが、ヨーロッパで製造される唯一のガラス製品で、富裕層や王族が彼らにとっても高価なヴェネチアンガラスを競って購入したそうです。17世紀になるとイギリスの鉛ガラスやボヘミアンガラスなどが流行し、ヴェネチアンガラスも陰りをみせてきます。

18世紀には産業革命の影響で、手工業が衰え、18世紀の終わりにはナポレオンがヴェネチア共和国が滅ぼし、共和国政府のガラス産業庇護も終焉し、5世紀続いたガラス職人組合が解散します。

19世紀には近代化の中で、過去のガラスの復刻や教会モザイク画修復の為の色ガラスモザイクの製造、その他新しい試みのインテリアや芸術性のあるオブジェなども作られるようになりました。苦境の時代を超えて、ガラス工場の建設、過去の閉鎖的な歴史からの脱却、職人と弟子の教育システムの改善など、様々な分野において近代化の波にのり、過去の栄光を復活させ、今日に至るまで世界的に有名なガラス産業を維持しています。

栄光のガラスの歴史を背景に、苦境の時代をむかえながら、歴史と努力で境地を抜けてきたガラス職人の存在が、今日にいたるまで常に新しい技術を試作し続けてきました。