お祭りと年間行事

ヴェネチアのお祭りと年間行事

<仮面カーニバル>

ヴェネチアのカーニバルが誕生した時期は様々な説があります。「カーニバル」という言葉が市民の娯楽として1094年の資料に記載されています。公的資料ではヴェエネチア共和国の元老院が四旬節(復活祭の40日間)の前日が祝日と認めた1296年に「ヴェネチアのカーニバル」として公告されたそうです。それ以外には、イタリア本土側のアクイレイアの総主教との抗争に勝利した1162年に、この勝利を祝して、サン・マルコ広場に集まって祝宴が行われたのが「ヴェネチアのカーニバル」となったとか。

ヴェネチアの仮面カーニバルは仮面をつけることで、社会的身分や男女、宗教などの違いを超えて、心から楽しむことを意図として仮面をつかうようになったと言われています。15世紀にはヴェネチア共和国の盛大な祭典にまでなりました。しかし、1797年のナポレオンの支配でヴェネチア共和国が滅びると同時にカーニバルも衰退してしまいました。長い空白期間の後、1979年にヴェネチア市、フェニーチェ劇場、県の企業などの協力によって、またイタリア政府がヴェネチアの歴史と文化を復活させ、自らの成果として伝統的な祭典を利用する試みも加わり、カーニバルはようやく再開されました。

現在、仮面カーニバルは平均300万人で賑わい、ヴェネチアの最も重要な年間行事の一つとして存在しています。カーニバル最後の週末に行われる仮面コンテストがあり、ファッション・デザイナーなどが、「最も美しい仮面」と称して審査員として投票します。この時期の観光客のタイプは2つに別れます。大半の観光客は仮装した人々を写真撮影に来ます。もう一方の観光客は手作りの衣装や貸衣装を身につけて、ヴェネチアの街中を練り歩き、前者の観光客の写真のモデルになり、脚光をあびること楽しみます。

ヴェネチアの子供達は、この時期になると毎年好きな人物に仮装させてもらいカーニバルを楽しみますが、大半の大人達は仮装はせず、カーニバル期間中にある宗教的行事である「肥沃な火曜日」と「灰の水曜日」を家族や友人と楽しみ、日中は商売に励みます。富裕層のヴェネチア人や観光客は、昔の貴族のように仮面と豪華な衣装をまとい、様々な宮殿で行われるプライベートの仮面舞踏会を楽しみます。

<守護聖人サン・マルコ祭>

4月25日に亡くなったヴェネチアの守護聖人マルコの重要な宗教的な祭典です。一方で「イタリア解放記念日」でもあり、1945年4月25日にミラノが連合軍に解放されたことを祝う祝日です。

<サン・マルティーノのお祭り (La festa di San Martino)>

毎年11月11日ヴェネツィアの街中で、お鍋やそのふた、木べら を持った子供達の練り歩く姿を見ます。これが「サン・マルティーノのお祭り」です。本当は農民の格好をして提灯を持つと聞いたこともあります。その子供達はその格好で練り歩いてお店を襲撃します

昔、寒い冬のある日、馬に乗った、裕福な家の青年マルティーノの前に現れた1人の物乞いに恵んでやるものを持ち合わせていなかったマルティーノは、自分のマントを半分に切って与えました。すると、それまで寒くて凍えるようだった気候が、急に日が出て暖かくなったそうです。この伝説から、寒さが本格的になり始める11月に数日間太陽に恵まれた暖かい日が戻る日があります。それをサン・マルティーノ日和と呼びます。

ヴェネチアでは、この日は子供のお祭りで、マントや冠をかぶった子供たちが、鍋やそのふた、木べらなどを楽器代わりに、叩いて鳴らしながら近所の家や店に入って、お菓子や小銭をねだります。多少「ハロウィン」を思い出させる光景でもあり、時期も近く、時とともに何か混ざって取り入れられた部分もあるのでしょう。サン・マルティーノのお祭りも、伝統的なお祭りとは言いながら、一時期途絶えたものを復活させたそうです。小学校や幼稚園で、サン・マルティーノの騎馬の絵を描かせたり、マントなどを作らせて一緒に近所を回ったりしています。広場などで、子供向けのイベントが行われています。

<ヴォガロンガ (Vogalonga)>

6月ヴェネチアのラグーナで、ヴォガロンガと言うボートレースが行われます。数千隻の船が世界から参加して、ラグーナの中を30キロメートル、櫂だけで渡ります。近年観光客が主に利用する水上タクシー(モーターボート)の起こす波が問題になっており、それに抗議する意図から70年代に手漕ぎの船競争がはじめられました。

このヴォガロンガは、今では世界中の人々が参加する、櫂で漕ぐ船の大きなお祭りになりました。ヴェネト風(ヴェネチア地域)の船の参加は年々減少して一方で、参加者は増えているそうです。
このレースに合わせて、大運河やサン・マルコ付近の船着場では、午前中から午後にかけて水上バスや水上タクシーの交通が規制され、ボートの運航に移動制限が敷かれます。ヴォガロンガに興味のない地元ヴェネチア人にとっては、交通規制と街中の混雑で、迷惑に思っている現実もあります。

<レデントーレ祭( Festa del Redentore)>

毎年7月の第3土曜日に行われるレデントーレ祭は、ヴェエンチア人が非常に楽しみにしているビッグイベントのお祭りです。。ヴェネチアだけでなく、近郊の街からも陸路、海路の交通をつかって多くの人たちがやって来ます。これはジュデッカ島にあるレデントーレ教会のお祭りです。レデントーレは「救世主イエス・キリスト」という意味があります。

この日のためだけにヴェネチアの島からレデントーレ教会まで船による橋かが築かれ、普段は水上バスでしか渡れないヴェネチアの島からジュデッカ島に橋で参拝できるようになります。そして夜花火大会が行われます。サン・マルコ広場とサン・ジョルジョ島、プンタ・デラ・ドガーナ(海の税関)、レデントーレ教会の中間に当たる地点に花火を打ち上げるための台船が置かれ、その周辺にヴェネチア人達が競って花火の眺められる適切なポジションをキープする為に、夕方から船やボートで集まって場所確保に来ます。そして夕方から船上で飲み食いが始まり、深夜前に最初の花火が上がり、約30分くらい続きます。

<レガータ・ストーリカ (Regata Storica)>

毎年9月の第一日曜日に行われる「レガータ・ストーリカ」は、何千年もの間、ヴェネチアで続いてきたゴンドラレースです。ヴェネチアの中心を流れる大運河をレース会場として行う、いわゆるゴンドラのお祭りです。その中でも、何時間も前から座り込んで待機している見物人もいるほどなのが、レース前に行われる豪華な水上パレート「イル・コルテオ・ストーリコ歴史的な行列」です。

16世紀当時のゴンドラと、当時の衣装を着たゴンドリエーレが、敵対関係にもあったヴェネチア共和国とジェノバ共和国時代の総督のドージェとその妻、高官達を運び、ヴェネチア共和国が地中海で最も権力のあった海洋共和国時代の様子を再現します。

レースは、18歳以下の青少年部門、女性部門、ゴンドラ漕ぎの年齢やゴンドラの形などによって4つの部門に分かれて行われます。特に盛り上がるレースは、「カンピオーニ・スイ・ゴンドリー二(Campioni sui Gondolini)」と呼ばれ、日常では観光客を乗せている本物のゴンドリエーレたちのレースです。ヴェネチアで歴史ある職業であるゴンドリエーレたちが最も熱くなり、彼らの誇りと意地をかけて熱い戦いが繰り広げられます。

<マドンナ・デッラ・サルーテ祭 (Festa della Madonna della Salute)>

11月21日はヴェネチアの伝統的なマドンナ・デッラ・サルーテ祭です。サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(Basilica di Santa Maria della Salute)から由来しています。「救済の聖母マリア聖堂」と言う和訳になります。通常ヴェネチアでは短縮してサルーテ教会と呼んでいます。ヴェネチアの島の中心を流れる大運河をはさんで、サン・マルコ広場の対岸にある教会で、大運河の入口の象徴である「海の税関(プンタ・デラ・ドガーナ)」に近接するかたちで建っています。

マドンナ・デッラ・サルーテ祭と教会の建設に関しては当時の時代背景と歴史を語る必要があります。1629年の夏に始まり、イタリア全土を襲ったペ スト(黒死病)の大流行でヴェネチアを急襲し、約2年かけて人口の三分の一を失いました。そして1630年のペストの終焉を神に感謝して建てられた教会です。

1630年ヴェネツィア政府は改めて新しい教会建設を宣言しました。但し、今度は今までと異なり、ペスト撲滅や守護聖人に捧げるので はなく、ヴェネチア共和国守護者の聖母マリアに捧げることが決まりました。そこで、共和国政府は毎年11月21日の聖母マリアの祝日を祝って教会を訪問することを決めました。これはマドンナ・デッラ・サルーテ祭として市の公式行事となり、サルーテ教会のあるサン・マルコ地区からアカデミア美術館のあるドルソドゥーロ地区までペスト撃退を記念する行進が続き、大運河上にはこの時期のみ舟橋が設置され、その上ををサン・マルコ地区から渡ってお祈りに行くことに なっています。約400年前のお祭りが今日もヴェネチアの主要行事の一つとして毎年行われ、舟橋を渡って教会内部に火を灯った 蝋燭を各自あげて健康を祈りに行きます。

マドンナ・デッラ・サルーテ祭は、お祈りに行くだけでは終わりません。当時ペストにかかりにくかった料理と言うことで食べられていた料理があります。それは「ラ・カストラディーナ(La castradina)」と呼ばれている羊肉をベースにしたやや塩味のきいた料理です。羊肉燻製の腿肉、玉ねぎ、チリメンキャベツを煮込んだスープ です。比較的さらっとしたタイプのスープではありますが、燻製羊肉をつかっているので、少々塩味がきいています。食べた後には正直喉がかわきます。教会に 健康のお祈りに行き、当時食べられていた「ラ・カストラディーナ」を家族や友人などと集まって食事会を行うのが、典型的なお祭りの過ごし方です。

<センサのお祭り(Festa della Sensa)>

「センサ」とはヴェネチア語で「昇天」を意味します。毎年この祭りは、5月終わりの「キリスト昇天際」に合わせて行われます。毎年異なる「復活祭」から40日後に行われるので、5月下旬から6月初旬頃に行われ、ヴェネチア共和国時代に始まった行事です。10世紀終わり頃にヴェネチア共和国がダルマツィア(現スロベニア)を征服したことを記念して開始されたそうです。

12世紀神聖ローマ帝国皇帝の目前で、法王アレッサンドロ3世がサン・マルコ寺院でヴェネチアの総督(ドージェ)に指輪を与えました。これはアドリア海におけるヴェネチア共和国の権利が、法王によって公に認められた象徴となりました。ヴェネチア共和国にとって重要なアドリア海との深い絆を毎年更新していくために、この象徴的な指輪の複製が総督(ドージェ)によって海に投げられるようになり、それを「海と結婚」と称する行事となりました。

当時ヴェネツィアの総督(ドージェ)が「ブチントーロ」と呼ばれる金の船に乗り、多くの船がこの後に続いて、アドリア海に出でて、海に指輪を投げ、「海との結婚」を祝いました。今日は当時の総督(ドージェ)に代わって、ヴェネチアの市長がその役目を行い、司祭と共に櫂で漕ぐ「ビッソラ」といわれる船に乗って、当時同様に後ろに多くの船を従えて、リド島のサン・ニコロ地区前に移動して、海に指輪を投げる儀式が続けて行われています。基本的にはドージェに代って市長が海に指輪を投げるはずなのですが、最近は何故か市長ではなくなりました。

<ビエンナーレ (Biennale)>

ヴェネツィアで1895年から開催されている現代美術の国際美術展覧会。2年に1度、奇数年に、6月頃から11月頃まで開催されています。普段から世界からの観光客で賑わうヴェネチアですが、ビエンナーレのある年は観光客の量が確実に増えます。ビエンナーレの評判が良い年は更に増加します。
 
「ビエンナーレ」はイタリア語で「2年に1度」を意味します。この展覧会は、万国博覧会や近代オリンピックのように国が出展単位となっており、参加各国はヴェエチア島内のメイン会場となる公園やその周囲にパビリオンを構えて、選出された各国を代表するアーティストの展示が行われます。国同士が希望をかけて展示を行い、賞レースをすることから「美術のオリンピック」とも称されます。

参加各国は事前にそれぞれの国内のキュレーターや美術家の中から、コミッショナー(展示企画者)と代表アーティストを選出し、ヴェネチアに設けられた自国パビリオンでコミッショナーの企画した意図と設定したテーマをもとに代表アーティストを紹介します。その中から金獅子賞(優秀賞)が選ばれます。

ビエンナーレは美術部門だけでなく、映画部門・建築部門・音楽部門・演劇部門・舞踊部門も存在します。その中でも有名なのが、毎年開催されているヴェネツィア国際映画祭と国際演劇祭、美術ビエンナーレと同じ会場で偶数年に開催されている国際ヴェネツィア建築ビエンナーレ、フェニーチェ劇場で行われる国際音楽祭(ヴェネツィア国際現代音楽祭)、国際舞踊祭(コンテンポラリー・ダンス国際フェスティヴァル)もヴェネチア・ビエンナーレの行事です。