ヴェネチア 音楽の旅

ヴェネチア 音楽の旅 

ピエタ教会 〜 ヴェネチア国立音楽院 + 音楽博物館 〜 フェニーチェ劇場

通常のヴェエネチアの観光ツアーでは案内されないヴェネチアの歴史し的な音楽文化をご紹介し、専門家の説明を通訳しながらご案内するコースです。

【提供内容】
 内容:アテンドと施設の専用ガイドの案内の通訳サービス
 時間:6 時間
 料金:一組 30,000円 

【料金に含まれないもの】各施設の専用ガイドの案内と入場料 一人 42€ 

内訳

  • ピエタ教会 1人 10 €
  • ヴェネチア国立音楽院と音楽博物館 1人20€
  • フェニーチェ劇場 1人12€ 

<ピエタ教会> 

ピエタ教会専門家による「ヴィヴァルディ慈悲の教会博物館ツアー」は、教会の歴史から、アントニオ・ヴィヴァルディの熱心な指導により、当時イタリアで有名になった孤児院の聖歌隊のエピソードや資料、そして貴重なバロック楽器コレクションをご案内します。ヴェネチア共和国時代の音楽と福祉に関わる大変興味深い、世界的に有名なヴィヴァルディの時代を感じられる貴重な経験となります。

『アンティコ・オスペダーレ・デッラ・ピエタ(ピエタ慈善院)は、ヴェネツィア共和国時代に救貧院、孤児院、音楽院でした。1346年に孤児や棄児を養育するための慈善機関として設立されました。棄児はスカフェータと呼ばれる「赤ちゃんポスト」に預けられるようになっていました。多くの場合は実現しなかったようですが、預ける親の多くはいずれは引き取りに来ることを前提にして、形見の品を赤ん坊に添えていそうです。

男子も受け入れて船大工や石工などの職業訓練され、世に出て行きましたが、女子は結婚しない限り、生涯をここで過ごし、女子は音楽的才能を発芽させれば、8歳から10歳にかけて集中的に訓練を始め、慈善院付属音楽院の「合奏・合唱の娘たち」の一員として育て上げられました。

ヴェネツィア共和国の法的保護の下にあったピエタ慈善院は、貴族や裕福な市民からの寄付と遺贈を受けていましたが、「手工芸の娘たち」の収入を加えても十分には運営できず、付属音楽院のコンサートによる収入がピエタ慈善の運営を大きく支えていたそうです。

そのために、18世紀以降は当時優れた音楽家が「合奏・合唱の娘たち」の指導に当たるようになったそうです。司祭でもあったヴィヴァルディが音楽指導者に就任してからは、さらに合奏・合唱団の技量が飛躍的に伸び、多くの女性のヴィルトゥオーソ(音楽演奏において格別な技巧や能力によって名人)や名歌手を輩出しました。ヴィヴァルディの愛弟子になりました。こうした名声に惹かれて貴族たちも、ここに娘を送って音楽教育を受けさせたため、慈善院は良家の音楽教育機関としても機能するようになりました。

ヴィヴァルディは1704年1740年まで断続的にヴァイオリン教師、作曲家、さまざまな役職を歴任し、典礼の際に演奏される器楽の指揮なども務めました。彼の器楽曲の多くがこの女性たちに捧げて作曲されました。作品群の中には高度な技術を求められる楽曲も含まれており、当時のこのオーケストラのレベルの高さを示しています。

『県立慈悲の聖母マリア児童施設」の歴史は14世紀に始まり、ヴェネツィア共和国の支援とサポート、そして多くのヴェネツィア人の博愛精神によって、何世紀にもわたって発展してきましたが、当初の使命は、脆弱な子供や母親をケアする方法を常に適応させることで、今日でも研究所によって継続されています。

この児童施設は、その活動の一環として、また法的義務を果たすために、博物館を設立することによって、ヴェネツィアの都市とその領土の市民的・社会的変容を通じた数世紀にわたる研究所の貴重な文化遺産を、博物館として一般公開することになりました。

<ヴェネチア国立音楽院と音楽博物館> 

ヴェネチア国立音楽院

ヴェネチア共和国時代の大貴族ピザーニ家の宮殿パラッツォ・ピサーニ」が、現在のヴェネチア国立音楽院です。
この豪華な宮殿は、19世紀以来、音楽院の本拠地として使用されています。
「ピザーニ宮殿(国立音楽院)」は歴史、建築、芸術視点から大変重要な文化的遺産です。ピザーニ宮殿(国立音楽院)の上階に設置されたテラスからは、大変素晴らしいヴェネチアの街の絶景をお楽しみいいただけます。

ピザーニ宮殿(国立音楽院)を訪問したのちは、国立音楽院が運営する元教会の建物に設置された「音楽博物館」をご案内します。

音楽博物館

音楽博物館はヴァイオリン製作に特化した博物館です。ヴァイオリン製作の黄金期である18世紀に焦点をあてて紹介しています。実際この時代はクレモネーゼ派が確立され、弦楽器製作の絶対的な基準点として成長しヴェネチアに優れた「ルチエ(楽器製作職人)」の工房がありました。

イタリアの有名なコレクターであったマエストロ・アルテミオ・ヴェルサーリのコレクション「アントニオ・ヴィヴァルディとその時代」は、イタリアのヴァイオリン製作の黄金時代への旅といえるでしょう。イタリアをヨーロッパ中に知らしめたさまざまな工房や流派に属する作品を通して、18世紀のヴェネツィア音楽の物語が語られます。  ヴェネツィアは、実は偉大な「ルチアー(楽器製作者)」の工房そのものだったのです。
その職人たちは、その職人たちは、当時徐々に定義されつつあった新しい音の要件に対応しながら完成度を高めていく楽器の実験と製造に秀でていました。重要なな職人の署名が入った真の芸術品である弦楽器が展示されています。

<フェニーチェ劇場> 

  • チケット € 12,00   € 9,00 (65歳以上)  € 7,00 (学割 7〜26歳)  無料(6歳まで)
  • チケット料金には日本語音声ガイドとマリア・カラスの館内展示の見学も含まれています

世界的に有名なフェニーチェ劇場の説明と見学を楽しんでいただきます。オペラが行われていない時期、オペラ鑑賞には時間がない場合も、この訪問で、フェニーチェ劇場の長い歴史と素晴らしい劇場の内装を楽しんでいただけます。

オペラ鑑賞前に演目、ヴェネチアのオペラやフェニーチェ劇場の歴史を知っておくことで、オペラをより楽しんでいただけます。劇場に入場して座席の確認を行い、劇場の歴史と内部、演目のご案内を行います。必要な方には予約されているチケットを受け取るお手伝いも行います。

開場1792年。イタリア語で「フェニーチェ」は「不死鳥」を意味します。客席規模約1500席ありましたが、19世紀初めのナポレオン支配下でロイヤル・ボックスが仮増設されることにより席数が減りました。

この名前は1773年に火災で焼失したヴェネチアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられたにもかかわらず、1836年と1996年の2度にわたる火災によりほぼ全焼しました。その度に再建され、その意味では「不死鳥」の名にふさわしい歴史を作り上げてきました。

多くの有名なオペラ歌手が公演を行ってきましたが、オペラ界の女王マリア・カラスはフェニーチェ劇場で1949年から1954年まで「ノルマ」や「椿姫」など8演目の公演を行い、その記念に「マリア・カラス運河と橋」が造られました。橋はフェニーチェ劇場へ入る以外はどこにも行けず、劇場入場者のための橋として建造されました。フェニーチェ劇場とこの橋は、ルキノ・ヴィスコン ティ監督の映画「夏の嵐」の舞台としてつかわれています。映画の中では、この橋は劇場に入る橋ではなく、移動するシーンの橋として撮影されています。